不必要悪





善とはなんだろうか。



雨に濡れている子犬を助けるのは善だろうか。

弱い物を助けてやるのはいい事なのかもしれない。

しかし、1匹程度ならかまわないが、

弱い生物を大量に助けるとなればそれは生態系を狂わす事になる。



人を殺すのはほぼ全ての法律、宗教で悪とされている。

しかし近年、安楽死について色々議論されているのを考えれば

それはほんとうに悪であるかは解らない。



「悪口」という単語がある。

その中に含まれている「陰口」や「嫌味」は

ちょっとした雑談のきっかけになるのを別にすれば

確かになにかを生む事は少なく

悪といえるのかも知れないが、

人になにかをアドバイスする時はたいてい相手の悪い点を挙げるのであって

悪口との差は言いまわしや態度くらいだろう。

受け取り手の心の持ち用によって悪口はアドバイスに、

と、言うと言いすぎかも知れないが

その受け手が成長する為の材料には間違い無くなりえるだろう。



善という物を定義するのはとても難しいという事は

少し考えれば誰しも気づくかもしれない。

しかし悪については皆が

「知っているつもり」に成っているのではないだろうか。



モラル的な善と悪については宗教や文化によって

かなり大きな差異があるので定義するのは不可能だといって言いだろう。

しかし社会的な善悪は定義しようという傾向があるようだ。

「核兵器は悪だ」と言うのはかなリ人間社会には浸透している。

キュリーがそれの基となるウランを発見した事は賞賛されているとしても。



それを解決しようとすれば矛盾が常に生まれる。

たとえモラル的な部分を無視して社会的な面だけを見てもだ。

一つ奇妙な例を挙げよう。

こういう時は

「一つ特殊な例を挙げよう。」と言うべきだが、

「奇妙な」と言うのがふさわしいと思われる。



社会において法律に準ずるもの、

警察組織などが善だとすると

直接的に盗難、殺人などの罪を犯さなくても

警察の行動自体を妨害するのは悪だと言えよう。

実際に「公務執行妨害」などが罪になる事からも明白だろう。

警察の行動を妨害するのは悪である。

そして「警察の行動」と言うのは

「悪と戦う事」なのだろう。

そこでだ。

「悪と戦う事」を妨害するのは「悪」ということになる。

「警察が悪と戦えない状態を作る」と言うのは悪なのだ。

さて、「警察が悪と戦えない状況」と言うのの一つに

「悪人が居ない状態」というのがある。

「犯罪者を無くす」と言うのは警察の邪魔をする事になるのである。

警察の邪魔をするのは「悪」であある。

「犯罪者を無くす」のは「悪」なのだ。



この理論が筋が通っているように見えても

おかしいものだと言うのは簡単に解るだろう。

考えればどこが不自然なのかも解る。

しかしこの不自然でおかしな状況と言うのは実際に現在社会で起こっている。

それによって考えればもう一つべつの奇妙な考え方を思いつく。



それでは社会が決めている基準の「善悪」について考えるのだ。

この場合はいわゆる「マスコミ」に沿う事になる。

この世の中で最も、最もとは言い過ぎだろうか、

しかし、あえて言うと

「最も悪い事」とは

「善人がいきている事である」。

「良い人」「悪い人」と言うのは、

後から決まった「法的な基準」ひいては

「マスコミのつくった偶像」がなければ、

本来比較的なもので、

GOODとかBADなどというものはなく、

BETTER、WORTHなどの比較級で表現されるものである。

そうすると、善人がレベルの高い善人であるほど、

悪人が増える計算になる。

あなたが善人だから世の中に悪人が増えるのです。

さあ、悪人を減らす為に悪事を働いてください。














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