本当の本



本を小さい頃からスゴイ読む。

で、知識を沢山得てそれによって作り出されるのは

「本当の本」とか言う駄洒落だかなんだか解らない文。

役に立ってるんだかわからない。

それ以上に役に立ってるんだか解らないのが本棚にたまっている本。

読んで知識が頭にはいってしまったのなら

それは無駄な紙の束でしかないのでは ないだろうか。



昨日買った本など無駄なもののきわみだろうか。

とある人のネットページの日記を本にしたもの。

ネットで読める物に1800円も払ってしまった。

しかしながらその本のデザインだとかイラストなどにお金を出したと思えば・・・

あ、でも、やっぱ、画集とかを買った方が得な訳で。

あえて言うのならその無駄な行為をしてしまった事を

その本の作者にメールで書いたところ、

なんと返事が帰って来てしまった。

そのメールに1800円払ったと言うのが真実だろうか。

それが今回の本の価値になるのだろうか。

そうするとこの本は物質としての価値よりきっかけとしての価値がある訳で、

やはりとっておく理由はみつからない。



そもそもなんで本を取っておくのだろうか。

場所をホント取る。

ハードカバーなんて最悪です。

昔集めていた漫画があるのだが、

アメリカからこっちに送って以来パッキングを開けておらず、

一生箱の中かも知れない。

もし誰かが持ち出していたとしても

それを知らずにあたしは死んでいくのかも知れない。

もし読みなおしたいと思ったときにも、

わざわざ出す時間や手間よりも

漫画喫茶に行く方をとるだろう。



小説とかもそうではないでしょうか。

図書館と言う無料の施設があるわけで、

読んだ小説をアメリカのC様に送ってしまうようなあたしとしては、

本をとっておく価値はないのではないかと。

と言う心理は

「本は知識を得る物」って仮定の上にしか成り立たないわけなのですが。

でもその「仮定」って物を考えつくだけの知識は

本にはいってるから、

それは役に立つ資料で、

人に教えるときは本で渡すことも出来るし・・・



結局は法律家か誰かが

「自分は頭いいさ」って思わす為に

もしくは「勉強しなきゃ」って強迫観念、

および脅迫概念にとらわれてる人が、

本棚にいれておく事で安心する為のもの。

じゃ、ないのでしょうか?

なんて否定的な事をさんざんかいてきましたが、

本当に本が好きで

「本の虫」って英語でも日本誤でも言われるあたしが、

本を否定できるわけありません。

本はとても役に立ちます。

さっき置き場所に困る様な事を書いたハードカバーの本も

今こうして役に立ってます。

はい。

あたくし、マウスパッドを持っていないので。







p.s. 本の事ばっか書いてると「本」のバチが「当る」。「本当に」

 って必要以上に寒い、稲川順二の怪談よりも凍えれるオチも考えてた(苦笑)












SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu