音楽の無能



「音楽の無能」って言う表現を使うと

その世界の人々から反論がきそうですが、

同じ事が「芸術」「文学」に当てはまるといっておきます。

そしてあたしは紛れも無く「芸術」「文学」をめざしてる人間だという事も。



音楽って言うのは人間に必要でしょうか。

この質問に「必要」と答えれる人、

あなたはこの先を読まないでください。



人間は憂鬱なときにそう言う気持ちを表す音楽を聞くと

共感意識によって心が少し安らぎます。

人によって、

「ああ、私だけじゃないんだ、こういう気持ちは。」

って思う人と、

「そう、私はかわいそうな立場にいるんだ。」

って思う場合と2種類あるとはおもいますが、

とりあえず憂鬱な気持ちから救ってくれる。

「じゃ、いいんじゃん?」

っていわれそうですね。

たしかに良いんです。それでも。

でも極端な話になりますが、

それは要するに「温室育ちの子供」



今の幼稚園では砂場は使用時間以外は

ビニールシートを被せてあるそうです。

猫が糞するとかいって。

それは確かにそうかもしれませんが。

でも、ビニールシートを被せる事によって発生する

カビや細菌のほうが人体にはよっぽど危険だと思われる。

そういった教育態度が幼稚園児を甘やかす。

それはちょっと関係無いのですが、

問題はそういった環境にいたるにはどうなったかという事。

それは間違い無くバカ親の甘やかし方。

はっきりいって過保護に育てなければ育てないほど人間は強く育つ。

そう言う事です。



音楽で気持ちが安心して憂鬱を乗り越えるのと、

音楽の助けなしで乗り越えるのでは、

どちらが強い人間が育つのでしょうか?



もっと科学的・・っていうほどでも無いが、

そんな感じではなしをしますと、

音楽などで人が感動するって言うのは

脳内麻薬が精製されて感動って感情を生んでる。

では、音楽聴かないで脳内麻薬を出せる人間のほうが優れてませんか?

たとえば、TVゲームですが、

映像と音が両方良い作品より、

片方だけが良い作品のほうが評価はおちる。

当然ですね。

なぜなら「音だけで感動」よりも

「音と映像で感動」のほうが脳内麻薬の量も増えるでしょうから。

では、そこでゲームの遊び手が

音に対しての感受性が高い人間だったらどうでしょうか?

音だけが良いゲームでも普通の人間が

「両方がよいゲーム」を楽しむくらいの量の脳内麻薬が出るかもしれません。

さ、どう言う人間がすぐれてるでしょうか?

音だけでも感動できる人間?

音すらも無くとも感動できる人間?



そう言う意味で音楽は人間にとって成長に邪魔なものかと。

同じ意味で絵画や文章なども、

また邪魔なものかと。



っていうか、これも文章ですね。

今回のこのエッセイ無かった事にしといてください。














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