だんじょきゃベちゅ



ほんとは性差別だけじゃないです。

今回の。

でも人種差別って言うのは

されて見ないとわからない物だと思うので

今回はちょっと話のメインから省く様に。



先日シアトルで素敵な人に会う機会ガあり、

その人は東洋の芸術に興味があるらしく、

中国の骨董屋で硯を見ていたあたしに声をかけたのです。

その人は見た目も肩幅が広く

上品でそれでいて

「昔はスポーツをやっていた」って感じの

短めのオールバックで白い髪と

バリトンの声が似合う凛としたご老人でした。

その人が話をしたいというので

30分ぐらい中華街の中華な御店で話をしてて

別れ際に気づいた事。

あ、このひと女のひとだ・・・



はい、この話は伏線です。

今回のエッセイで重大な役割。



男女差別。

してますし、されてます。

あたしは男女差別、人種差別を

気にしません・・って言うと嘘になりますが、

あたしは個人の才能、性能を評価してほしいので

国籍や性別よりも。



たとえばアメリカ人(?)のイメージとして、

「日本人はメガネかけててカメラ持ってて

空手か柔道をしてて生魚を食う」

ってのがあります。

それはステレオタイプなイメージ。

日本語にすれば

「先入観」ってヤツですが、

それはしょうがない事だとおもいます。

実際あたしの場合はカメラやるし、

空手やるし、柔道も少々。

メガネはかけてないけど、

日本人にメガネかけてる人は多いとおもう。

だから先入観も正しいときが多いとおもいます。



そして男女差別にしても、

「女は男より腕力が弱い」

「男は女よりやさしさが無い」とか、

大抵の場合で当てはまる事は多いとおもいます。



まぁ、平たく言うと男性と女性は別の生き物であり、

男女差別があるのはしょうがないと思うわけで。

で、「男女区別」っていいかたがありますが、

それは本当なんでしょうか?

あたしは「区別」ってのは「差別」の聞こえを良くしただけにしか思えません。

どっちにしろ「差」を分けるわけなので、

「差別」だと思うわけで。

たとえば「みかんとりんご」を別けるときは多くのひとが「区別」というでしょう。

しかし商品として別けるとき以外は差別になるとおもいます。

「みかんとりんごとどっちがいい?」

この時点で差別と考える人はいないでしょう。

しかしながら選ぶところで「差別」になっています。

あたしは「りんごがいい」と答えます。

なぜならみかんは皮をむかなくちゃいけない。

「簡易性」ってところでりんごより劣っているわけです。

「みかんのほうがすっきりしていい」って言う人は、

「酸味」などで比べてて、

それは結局「差別」だとおもいます。

一方より他方が「劣ってる」というわけですから。





で、

男女間出も「差別」はあるわけで。

「力仕事」って面では、

大抵の場合男のほうが優れてるわけで、

「子育て」って場合は女のほうガ優れてるわけで。

それは差別でしょう。

男でも子育てに優れてる人はいるし、

女でも「かんどり」とかはいるわkけすし。

ですから、男女差別は正当なわけです。

あたしてきには。

ひとつゆうなれば、

男女差別は意味がないという状況はあります。

歳食ったら解りませんよね。

男か女か。



っていうか、むしろどっちでもいい。





ま、男も女も最終的にはおんなじになるんじゃないでしょうか。

体の大きい婆と体の小さいい爺と区別つかなかったりする。

もしくは差別する基準がない。

両方とも半分死体だから。

シアトルで女と男のミイラ見たときとか、

あそこ以外で判断つかなかったし。



深いな、今回。

いや、

不快な、今回。












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